喜怒哀楽

あな真里の終了後の番組はないようで、私の淡い期待は消え去ってしまいました。4年強、一人のパーソナリティーとして続けられたのは、矢口さんの力量があったわけで、ありがとうと言いたいのです。



最近、ハロー界隈に暗いニュースが多くなり、自分の中で確実にテンションが落ちているのは実感できます。こうした中で『ヲタ』を続けていくのは、相当ハローに対して好意を持っていないと出来ないと思ってます。



2002年のハロマゲドンという暗黒の状況下を通ってきた時も、「こんなに解体されてまでヲタでいる必要があるのか?」と自問自答しましたが、まだこうしてヲタである自分がいるのです。



好きな彼女らと、時に泣き、時に笑い、時に怒り、全て共有出来る事が幸せなんです。この感情、それは全てエンターテインメントな訳です。




映画や芝居など『物語』として世に送り出すものには、視聴者である私たちに、感動させ、泣かせ、考えさせ、といろいろな形で納得させ、私たちはそういった作品に対価を払うという図式の上に成り立っております。ほとんどの場合それはフィクションという形ですから、娯楽作品として楽しめるのでしょう。



一方、我らがハローの場合はドキュメント製の強い『物語』でありますので、私たちの感情にダイレクトに響いてきます。彼女らの『問題』は、私たちヲタの『問題』に直結し、死活問題になりやすいですから。誰だって、自分が悲しむのはイヤですからね。感情が高ぶるのも当然なのです。



しかし、辛いからこそ、悲しいからこそ、喜びという感情は大きくなるわけです。彼女らと共に、こういった感情を共有することで、苦難を乗り越えられたときに喜びを覚え、さらに彼女らの事を好きになっていくのではないでしょうか?そういった『線で繋がった感情』という物語を私たちは体験し共有するために、CDやDVDを買ったり、ライブ費用を捻出しているのかもしれません。



悲しいことも、辛いことも、嬉しいことも・・・。「喜怒哀楽」それはエンターテインメントなんです。




最終的に、幸せな彼女らを見ることが私の幸せに直結してきますので、彼女らには幸せになって欲しいと思っています。もし、悲しいニュースや辛いニュースがあったとしても、そこにハローがある限り、必ず明るいニュースがやってきて幸せになれると信じております。ですから、ヲタを辞めるという事は考えられないのです。